Synteny-Blog

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絵を描く時のこだわりの話

かなり前に、大学入学時に買った簡素な机を「fantoni GT」という良いものに新調したのですが、ワゴン(引き出し)はまだ使えるからとそのまま先の机に付属してきたものを使っていました。

ところが最近1段目の引き出しを開けようとすると2段目まで開く。よく見たら1段目の引き出しの底板が劣化で接着がはがれ、さらに撓んで下の引き出しに引っかかっていたことが判明。外側の塗装も剥げてきてしまったし、もう買い替えねばなりません。どうしようか。丈夫なものを買うに越したことはありませんが、fantoniで揃えるとなると予算的に厳しいのと、下段が金属フレームで、いわゆる「箱」ではないようなんですよね。悩むなー。

 

絵を描く時のこだわりの話。

 先日、個人的に思いついて3日ほどかけて絵を描きました。背景付き、サイズもそれなり(400dpi、A4サイズ)、構図や色使い、全体のテーマをきっちり決めて、製作期間の割には書き込めたとは思うのですが、いまいち納得できない出来でモヤモヤしていました。

それで結局今日まで「なんでだろう」と考えていたのですが、結論は「物語性を説明できない曖昧な絵だった」ということが分かった。

元々の性格として、「綺麗」とか「かっこいい」とか「カワイイ」とか、そういった物に意味やしっかりした説明付け(「”○○という理由がある(感じる)”から綺麗だ」)ができないと自分は何となく受け入れられない、ピンと来ないようです。

だからいつも絵を描くとき、落描きや資料用のカットでない限りはその絵の背景にある情報をガチガチに決めています。

例えば、

  1. この人物(Aとする)はこういう生い立ちや性格で、今現在はこのような立場である。
  2. この絵はAが○○という気分で○○をしている場面を切り取ったものである。
  3. 全体の色味は○○を表している。
  4. 手に○○を持っているがこれには○○という意味を含ませている。
  5. 背景に植物の鉢が置いてあるが、これはAが気に入っているものである。若干枯れ気味だが、○○という理由があって世話を怠っていたのが原因だ。その理由は(2)のAの今の気分とも関係している。
  6. このあとAは○○をする予定だ。

みたいな感じで。

今回の絵はそれを全く決めず、気分と構図の綺麗さに沿って人物と物を配置してスペースを埋めてしまったのが納得がいかない原因でした。

何かを作って表現するということ自体は昔から好きでしたが、俳句も詩も小説もやってみたけれど、言葉で何かを表すと自分の場合どうにも理屈っぽくなってしまうので絵として表しています。

※でも結局理屈っぽいところからは逃れられていません。

 

感想で「よく見るといろいろなものが描き込んであって面白いです」という言葉を頂くととても嬉しいです。

それは何かの意味があってそこに描き込んでいるからです。

 

宗教画で特定の聖人を表す物品や、主役のその後の運命を表すような品物がさりげなく描いてあったり、わざと脇役を派手に描き込んだり光を当てて目立たせる(その後、見ている側は主役に気づいてハッとする)という絵画のテクニックがありますが、そういうアイデアも使っていけたら面白そうです。

 

言葉にしたら自分でもモノづくりのポイントが分かりやすくなった気がする。今度はいい絵が描けるといいなあ、と思います。