Synteny-Blog

ウェブサイトSyntenyのブログ。日常のことや興味のあることを綴っています。

まだ夏は続いているはず

朝晩寒くなってきました。自分の中ではまだ8月です。9月27日?どういうこと?夏休みはどこへ。

DSDC発売おめでとうございます。PS5……!!

カービィ新作情報もあってワクワクです。「星のカービィ ディスカバリー」ですね。

廃墟大好きとしては嬉しいところです。「洞窟大作戦」的なお宝(遺物やゴミ?)集め要素があったらいいなあ。

 

ああ、参加したかったネット上のイベントやらお祝いイラストやらいっぱいあったのに…。

(などと、ぼやいていたら締め切りが増えてしまいました がんばるぞ)

 

anan(2021年9月15日号)「進化系映像最前線」

小島秀夫監督のインタビューが載っているananを購入しました。

用事で少し遠くへ出かけた時、たまたま入った書店にあった!ようやく見つけた!!

 

あの雑誌の購買層はどのあたりなんだろうなーと並んでいるバックナンバーを見ながら思っておりました。今回の表紙は木村拓哉さん。やっぱり格好いいですね。

化粧品やおすすめコーデの特集などが入っているからやはりメインは女性向けなんでしょうか。でもどのコラムも面白い。

今回の特集は映画、演劇、インターネットのサービスを利用した動画配信やゲームといった「進化系映像」特集ということで、こういった物に興味を持つ人もあまり知らない人も、老若男女問わず楽しめるような内容でした。(RTA in JAPANのリングフィットアドベンチャー実況の田口さんのインタビューもありました)様々なコンテンツの紹介も興味深い一冊になっています。

 

小島監督の記事はデスストランディングの開発経緯や演出の特徴、24日に発売されたばかりのディレクターズカット版(エクステンディッドバージョン)のお話、クリエイターとしての「昔とこれから」について語られています。

「バーチャルで体験したことを現実の世界に持って帰ったり、その人の力になれる作品を作りたい」(96ページ)

との言葉がありますが、まさに自分は監督の作品にそのような影響を受けた人間のうちの一人です。

幼稚園で月一回の「お誕生日会」の壇上で「将来の夢を発表しましょう」、小中学校に上がれば「将来の夢について調べましょう」と言われ、卒業アルバムにも各個人のインタビュー項目として紹介されるわけで、半ば強制的に”将来の夢”を答えざるをえなかったのですが、子供の中でも「まだよくわからない、決められないから適当に答える」派と「絶対これになる」派と2つに分かれていたような気がします。

自分は後者で、ズルズル道を踏み外しつつなんとかこの年までやってきたのですが、”将来の夢”に近いところに近づいたら”夢”(職業なり仕事の内容なり)の現実、本来の姿を知ることになります。いいところも悪いところも。

当時は「自分のしたいことは本当にこれだったのか?」「今の答えは正しいのか?」「自分が大切だと考えてきたことは実は間違っているのではないか?」をぼんやり考えてモヤモヤしていました。「絶対これになる」と考えつづけてきたから余計にそんな考え方に囚われたのかもしれない。

 

デススト発売の少し前あたり、たまたまVitaでMGSをプレイして、オタコンの研究室での会話(科学についての純粋な希望を持つ考え方)だったり、ナオミ・ハンターのメッセージだったり、最後の「自分の足で歩いていく」強くなったオタコンとスネークの会話を聞いて「ああ別に悩んでもいいし、自分の責任で進路を変更していってもいいのだ、あと、好きなものは好きだ」と再確認しました。

 

結果的に今まで自分が目指してきた分野を少し違う方向からアプローチする仕事(勉強)をしている、という現在があります。

ちょっと人に興味がわいた(別に人が怖かったから現在の分野に逃避していた、というわけではなく、技術ばかりを見て、人の心や社会への影響は考えたことがなかったということです)。

 

その後すぐに「同じ監督が新作を出すのか!(デススト紹介映像を見て)あ、やってみたい」という経緯でこちらもプレイしていますが、様々な人の考え方や善悪、気持ちの揺れ動き、「いいね!」というささやかな繋がりの大切さ、書ききれないほどのものを得ています。

 

架空の人々から学ぶ「人生経験」

自分自身がそれほど人付き合いのうまい方ではない、というのもありますが、付き合う人間の数には限界があるし、他人のことをあれこれ勝手に詮索するのも失礼に思える。また友人や家族として近しい存在になるほど、迷惑をかけまいと自分を隠して付き合ったり、フィルターをかけて相手を見ることもあるのではないでしょうか。

でも、現実でなくても人を知ることはできます。

ゲーム、小説、演劇等の創作物の「架空の人々」はおそらく作者の経験から生まれたものですから、生物としての存在は非現実でも「感情を持ったもの」という意味ではリアルな人々です。

彼らの人間関係を第三者視点から見て、あるいはゲームなら主人公としてその人間関係に介入して人の在り方を学ぶ、そういった体験は「非現実だから」という理由で過小評価するにはもったいない程の価値があるなあと、以前より人の心理的な事柄に触れることが多くなった最近、つくづくそう思います。

 

長くなってしまった。

これからも監督の作品を楽しみにしています。